恵方参りで気付いたこと

恵方参りはその年のチャンスの神様に、天の導きをいただくためにお参りさせてもらうもの。

恵方参りを始めて3年半ぐらい。

先日お参りしていて、ふと気づきました。

天は平等にみんなを照らすもの。
だからチャンスも本当は誰にも平等なはず。

意思の強い人にだけ、チャンスが多いわけじゃないはず。

ただ、そういう強い方向性のある人にしか、そのチャンスは見えないだけ。

だからこの間の恵方参りではチャンスを下さい、とは言いませんでした。

なんか傲慢な気がして。

チャンスはいつも与えてるのにね、と苦笑いされている気がして。

人間が気が付いていないだけだと言われた気がして。

だから、チャンスを見る目を下さい。
チャンスに乗る勇気を下さい。
そして私はこうしたいので頑張ります。
と約束をして帰ってきました。

自分と向き合うため、自分の方向性を強めるため、自分で意思を確認し、強い決意に変えるために手を合わさせてもらう。

神社やそこにおられる神様はその場を与えてくれているだけ。

神様の恩恵などこの世には無くて、すべては自分の力だ、などというのではなく、神様の恩恵は神社に行こうが行くまいが常に惜しみなく降り注いでいると思う。

だからあとは自分の行動だけ。

足りないのは自分の力。

与えてもらっているのに気付けていない自分に気合を入れさせてもらう場所。

常に見守られ、チャンスを与えられ続けている。

気学を実践していると、何故か本当にそう思えてくるのがものすごく不思議。

考え方の悪い癖がどんどん取れて、 やりたいっていう気持ちって本当はこんなに軽いものだったんだとか、今までのやりたいっていう気持ちは、やりたいって思い込もうとしていただけかな、随分恐る恐るやりたいって思っていただけかな、と思えてしまう。

一白の年に入ってから、本当にガラリと見える世界が変わってしまった気がして、今までの積み重ねは、今のここにつながっていたんだな、と思えます。

一白の年、天や大いなるものを現す六白金星は陥入。

苦労、試練の多い中で、大いなる力なんて裏に隠れてどこにもいない気がするのかも。

でも深い穴の中に大いなる力は隠れているだけ。

一白の卦が陰中の陽であるように、陽は確かにあって、その力を信じて前に進めるかどうかが分かれ道。

常に自分の内側には大いなる力の応援がある。

それに気付ければ、怖がらずに全力を出して進むことが出来る。

当然恐る恐る進む人とは出せる力は違ってしまう。

力の弱い人なんていない。

一握りの人がすごいのではない。

力を出すことをセーブしてしまっている人がいるだけ。

気学の活用で、自分の力を十二分に発揮できる自分を作ることが出来ます。

気学活用に関するご相談は1回5千円にてお受けしております。

下記までお待ちしております。

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