昨日はいい具合に時間が出来たので久し振りに庭の草むしり。
グッと涼しくなって外は風もまだ気持ちいい。
でも蚊はいたらしく、おでこを刺された。
ガーン…と思ったけれど、最近はこれも、まあいいよ、と思えるようになったし、刺されたことにありがとう、とは思えないけれど、何かを教えに来てくれてありがとう、とは思えるようになった。
よく吉方に行ったのに、いいことどころか、すごく嫌な気分になったとか、すごくトラブルに遭った、というケースもある。
ここで大事なのは「いいこと」の定義。
「いいこと」というのはあくまで自分の感情論。
でも自然の動き、天の意思はその人の最善へと導いてくれる動き。
小さい個人的感情なんてどうでもいい。
感情はこちらが天の采配に合わせればいい。
だって最終的に個人も喜べるように采配してくれているのだから、子供が間違っていることをしているのを親が、こっちのほうが正しいと言っているのに、そんなのいらない、と言っているのと同じ。
もちろん天の采配に逆らって自分の感情に従って生きるのもよし。
それは自分が選べばいいこと。
ただ生きている時間に限りはあるから、どう生きるかは自分の選択次第。
とにかく、今回蚊に刺されたことは吉方での出来事なわけではないけれど、普通だったら蚊に刺されるなんて「いいこと」とは思えない。
でもそれに意味があるんだろうなぁと思えるから、ものすごく考える。
最初から蚊に刺されてありがとうなんて思えない。
でも色々考えてみて、答えが出なくても、あれこれ考える中で別の気づきも出てきたりするから、結局その発端は蚊に刺されたという些細でいてどちらかという嫌なこと。
でも結局何が発端であっても、そこから自分の中のプラスに持っていくことは、ただ頭一つで出来るということ。