人の言葉

気学を学んでいると色々な場面でいろいろなことを考えさせられる。

人の言葉一つとっても、たまに間違っているなと思える発言があるとき。

もちろん間違った情報は間違っている事実は変えられない。

でもその間違った情報を聞いた時、それに対して発言した人のことを、信用ならないと馬鹿にするのか、批判するのか、そうでない反応をするのか、という選択肢はいろいろだ。

間違った情報を発信した人を擁護するわけではないけれど、鬼の首を取ったようにあれこれ言う人を見ると、その人は、どうしてその間違った情報を聞くことになったのか、というところについて、にまでは考えが及んでいないのだろうなと思う。

気学を学んでいると、誰の発言も、その特定の一個人の人の発言ではないのだろうなと思える。

自然の歯車が、聞く人の求める意思によって、”第三者”というだけの立場の人からその発言を聞くことになる。

間違ったことを聞くときは、間違ったことを聞いて何かを学んで成長したいと願ったはずの自分がいる。

でもその裏の成り立ちは気付きにくく、そんなことは願っていないし、人の間違いがなぜ自分の成長に、となる感覚のほうが一般的なのだけれど。

気学を学んでいると、そうじゃないんだろうな、と感じられる。

そして自分が、間違ったと思える人から学ぶことが出来れば、その人は功徳を与えたことになり、徳を積むことになる。

いかに多くの人の言動から学ばせてもらうか。

そのチャンスは無限にある。

 

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