「au三太郎」のCMディレクターをされている浜崎慎治さん、という方のお話を、ネットニュースで読みました。
「au三太郎」はなぜ好感度が高いのか――共感を呼ぶCMの作り方
CM内の俳優さんたちのアドリブに対してのコメントが下記。
「僕は面白ければ入れたほうが企業のためになると思っていて、決め込まない緩さというか、“余白”を極力用意しておこうと考えています。絵コンテと呼ばれる設計図はありますが、設計図にないことも現場でトライしてもらえるようにしているんです。一方で、キャラクター設定は決めている。キャラクターを示すことで役作りがしやすくなり、俳優さんが自由に走れると思うんです」
気学も同じ。
設計図が細かければ細かいほど完璧に細部まで良いものが出来そうだけれど、基本部分がしっかりしていれば、どんどん活用の幅は広がる。
基本だけなんて物足りないように思えるかもしれないけれど、気学で七赤金星は一爻不足の星。
足りない余白があるからこそ、そこに新しいものが入る余地がある。
七赤金星は沢。少しの水。
水は人間関係。
新しいものが入る余地に人の手が加わるから、熟成されてより良い物になっていく。
また樹木希林さんのことについての話しもありました。
「用意された台詞に対して、『ここの台詞ってこんな言い方するかしらね?』『ここってこういうことじゃないかしら』と提案されることがしばしばあって。現場での変更が多く、こちらはあたふたしてしまうこともありますが、結果的に良いものになる。いつも妥協せずに取り組まれていて、CMを作品として一緒に作り上げてくれました」
コマーシャルでも映画でもTVでも、プロデューサーさんは全体にとって最善を考えるプロ。
だけど役者さんはその中で演じる一人物の視線から物事を見るのだから、プロデューサーさんや脚本を書くような方とは違う目線での意見が出ることも当たり前のこと。
妥協しないということは、役者さんに限らず、どの立場においても、自分の役割に対してプロでいることは、人として必要な物の考え方。
どの立場においてもプロ、という意識を持つからこそ、より良いもの、より最善を目指して考える力が自然と働く。
でもプロというと、何か特別な人であって、例えばこの話の中のように、特定の女優さんは素晴らしいとか、あんな人もういないとか、いう話しになってしまうのは残念に思う。
誰でもがそんな素晴らしい人と同じように出来る力はあるし、同時に、あんな人が二人といないのと同じ、平凡に思える自分だって誰にも代えられない一人。
テレビを見ていると、色々な素晴らしい人の紹介をするけれど、どこも、こんなふうに出来たらいいけど難しいですよね、とか、この人はこんなに特別な力を持っていたとか、特別視してしまう話しが多い。
もっと、誰だってこんなふうに生きれば、平凡に思う自分の中にだって特別な力はあるよ、というワクワクした可能性を示すようなことを流さなければマスコミ=三碧木星の発展の力は活かせず日本全体の活気になんてつながらない。
また、狙っていないと、ヒットなんか出ない、という話しもありました。
「一人の個人的な思いが、特殊な面白いものを作ったりするんですよね。『僕はこう思う』という強い意志がないと、世の中に出ない。CMじゃなくても、何か面白いものが生まれたときは、そこに戦っている人がいるなと思います。狙っていないと、ヒットなんか出ません」
それは、自分には特別なものは何も持ち合わせてなんかいない…という気持ちでは作りえないもの。
自分だって何かある、という自信があるからこそ自分の意見というものを持てて、その意見を突き詰めよう、という行動につながっていける。
こういう人の話しを聞くと、なるほど、自分の強い意見を持てばいいんだと、つい同じようにやろうとするかもしれないけれど、結局自分はあんな特別な人とは違う凡人だから出来なくて当たり前だと思ってしまう人が多いのではないかと思える。
問題は、強い意見を持つことではなく、その一歩前の、自分が自分でいいんだ、というベースの土台がしっかりあるかどうかが大事で、そこが出来れば凡人とか特別な人とか関係なく出来る。
その土台を作るのは気学の、気の循環やその性質、特徴の学びが一番簡単に作っていける。
それからこの方の経歴についてのお話もありました。
テレビCMに携わって16年が経つ。道が開けたのは、29歳のころだった。
浜崎は当時、広告制作会社で働いていたが、自分に仕事は来なかった。どうしたら面白い仕事が来るようになるのか――。「賞を取ろう」と考えたが、そもそも賞に出すCMの依頼もない。そこで浜崎は、自身の実家が営む醤油屋のCMを制作する。そのCMで、ACC CM フェスティバルのブロンズを受賞。やがて仕事が舞い込むようになった。
気学で学んでいても同じ。
今、を活かすことで道は開けてくる。
今あるものをまずやり尽くす。
例えば今自分のそばに無くても、求めて求めてやり尽くせば、そのうちチャンスにたどり着ける。
また最後には『共感』を呼ぶCM作りについてのお話がありました。
流行や人々の興味を知るために何かリサーチをしているのかと聞けば、そうではない。浜崎自身は、TwitterもFacebookも利用していないと言う。
「流れてくる情報を受け入れて対処するだけになるのは、あんまり良くないんじゃないかなと思って。『あの人がここに行っていたから自分も行きたい』じゃなくて、自分が面白いと思うことを毎日やればいい。自分の頭でしっかり考えないと、と。『人の毎日って見えないからいい』と思ったりもします。みんな結構、『裸』になり過ぎているような気がする」
一白水星には裏という意味があります。
でもそれこそこの方が「『裸』になり過ぎている」というように、SNSなどですべてをさらけ出しているような状況の中、見えているものがすべて、というものの見方にもなってしまっていて、見えていない部分があるとは思いもしなかったり、見えていない部分に考えを巡らせる余地を持ち合わせていなかったりして、感情のぶつかり合いが九紫火星の衝突を生んだり、猜疑心や孤独感を生むことにつながったりもする。
気学は九つの星の呼び名でそれぞれ異なる性質があることを説明する。
九つあって調和している。
それがわかってくると、対人間に対しても、こんな人だって、あんな人だって、必要があって何らかの役割があって身近にいても、それで全体は調和しているんだ、と受け取れるようになる。
「「au三太郎」はなぜ好感度が高いのか――共感を呼ぶCMの作り方」
この記事からも、やっぱり活躍される人は気学の通りのことを気学というものでなくても、その気の通りの生き方をされているといつも感じる。
でもそれを取り上げる側の人はどうだろう。
「共感を呼ぶCMの作り方」から、人が共感する極意を引き出そうという意図だったのかもしれないけれど、人が共感するのはその人の生き方。
「「au三太郎」はなぜ好感度が高いのか――共感を呼ぶCMを作る人の生き方」
というアプローチでないと、共感の極意は小手先の手法だけになって、特別な人にしか真似できないようなものになってしまう。
でも生き方は、その骨子だけを抜き取ろうとすれば、誰にでも当てはめられる生き方になるはず。
こんなふうにやれば自分にも出来るかも! やってみよう!!
そんなふうに思える、暗闇の中に朝日の光を当てるような役割が三碧木星の持つ性質である以上、それはマスコミ関係の役割でもあるはず。
三碧木星は朝日の星。
マスコミ関係の人にはそういえば早起きのイメージはあまり無い気がする。
どうしても必要な場合はあるのかもしれないけれど、三碧の担当する業界には、教育などもある。
やっぱり基本的には早起きすることで、三碧の気を、より良い形で活かすことになるのではないかと思える。
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