母も老齢になってきて、今は元気だけれど、やっぱり病気を心配している。
病気かぁ…と色々昨日考えていて思ったこと。
それは病気になればどうなるだろう?
あれもやりたかったのに、これもやりたかったのに、どうしてこんなことに?
など、色々なことを感じたり思ったりすると思う。
それは人間的成長につながることだと思う。
だから病気は、させてもらえるんだな、と思えた。
人間的成長がもう無理な人はきっと病気もさせてもらえない。
病気という、辛い境地に追い込まれる中で、病気になった人にしか得られない領域に考えを及ぼすことになる。
その深みは、その後の人生に大きな力へ変換されるはず。
そこに気付けないまま、ただそのときの苦しみにとらわれてしまっては、せっかくのチャンスをふいにしてしまうことになる。
自分がその立場になってみなければ確かにわからない。
自分がその立場に立った時にはそんなこと思えないかもしれない。
でも自分が出来るかどうかではなく、宇宙の真理はそうなんじゃないかなと思うから、病気、ということ自体にとらわれるのではなく、病気の先、今そのときにしかわからない気持ちをバネに、絶対やりとげたい思いがあることと向き合う。
そのときの思いの強さが、願いを叶える活力になる。
そう受け取りたいと思う。