ものすごい実のなる種、ものすごい花の咲く種があるとしても、それを育てて伸ばす土が肥沃でなければその種の価値は価値を発揮できない。
大事なのはその種を求めると同時に、自分の土をいかに肥沃にしておくかということ。
土と種、片方だけでは成り立たない。
だから自分の知恵だけを高めても、人との中でそれを使っていかなければ、その二つの合わさってしか芽生えない無限の可能性は生まれてこない。
自分と相手、二者の関係あって、無限の可能性が広がってくる。
だから本やネットの情報では無限の広がりは得にくい。
本やネットの情報は例えていうなら造花?
その場の華やかさ、満足感は得られるかもしれない。
でもそれ以上でも以下でもなく変化もない。
こちらの気持ちがそれ以上にもそれ以下にも変化はしない。
生きている花であれば、咲いては悦び、枯れては悲しみ、水をやれば元気になり自分も元気をもらい、忘れればしおれて罪悪化を生む。
生きているものには変化がある。
そしてそれに触れることで得られる感情は自分次第でいくらでも広がる。
気学は四柱推命などと違って生まれた年と月を基本に見る。
そして自分と方位を見る。
自分と今の年の流れ、月の流れ、日の流れを合わせて見る。
すべてがコラボレーションを見ていくもの。
気学の限界を感じている人は生きた情報を得ていない。
生きた情報からは自分次第で必ず無限の広がりを得られる。