感じ取りたい

ここのところ、三碧の年らしく、噴火、地震のニュース、

はたまた芸能人の方のまだ早い訃報などのニュースが飛び込んできます。

こういう、ご病気で亡くなられる方が出ると、

テレビなどで病気の怖さを取り上げるコーナーを見かけたりします。

確かに早期発見は大事ですが、自分も同じ病気じゃないだろうか…、

病気になったらどうしよう…、

そんな、さまざまな不安を抱える方も少なくないと思います。

たまたま見かけたテレビで、コメンテーターの方の言葉が耳に飛び込んできました。

自分たちは医者から余命宣告は受けていないけれど

生きている限りどこかで命の終わりはある、というような言葉。

本当にそうですよね。

生まれたときから死へ向かっていることはあまり普段考えに至りませんが

誰しもが逃れられない流れです。

そういえば整理収納の勉強の中に、

どうして物が捨てられないのか、その原因は使い切っていないからだ、

という話があります。

命も同じですよね。

死ぬのが怖いというのは、自分自身、やりきっていないから。

だから、こういう、まだ寿命には早い亡くなった方の話を耳にして、

私たちは不安になってどうしよう、というのではなく、

生きていることが当たり前ではない、

命には終わりがあって、悔いなく生きなくてはいけないし、

生きていく上でほとんどの人は、誰の手も借りずに生きている人はいないはず。

となると、生かされたことに恩返しもせずに生きてしまうことは

きっと自然の摂理に反すること。

多くの好意に支えられて日々過ごしていることに感謝し、

一日一日を大事に生きる。

そして自分を活かしきる。

そんなことを故人に教えられているのではないかな、と感じます。

不安になる、というのは自分が行動を起こせていないから。

スポーツをされる方で、よく負けても悔いなし、という言葉を口にされる光景を見かけます。

もちろん勝てた方が嬉しいでしょう。

それでもやるだけのことはやった、それでも負けたなら仕方がない、と思えるからこそ

出てくる言葉なのだろうな、と思います。

精一杯努力した、とは言えない状況で負ければ

それは悔いが残ることでしょう。

自然のことにしても、平和に暮らしていられるのは当たり前ではない。

地球が、宇宙が、地震や噴火を通して、

人間に不安を与えているのではなく、

ただ、日々当たり前と思っていることは全然当たり前なんかではないことを

教えてくれているのではないかな、と感じます。

日々起こる出来事、耳にする出来事すべてから

学ぶ、という姿勢でいること。

何を教えてくれているのか、感じ取りたいです。

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