テレビ番組のプレバトで、俳句のコーナーを見させてもらっていると、何というか、こういう繊細さを磨いていくことに興味を持つ人が増えている、と思うと、今の世の中本当に捨てたものではなくて、これからが頼もしいような気持ちになってきます。
俳句というルールの中で、いかにその制限を逆手に楽しむか。
自分にしか持ちえない感性で一瞬の世界を切り取って描き伝える。
人生も同じ。
特別な何かが無ければ何気なく送って過ぎてしまうような日々の繰り返し…なんかではなく、意識さえすれば、その何も変わりの無いように思える毎日も特別な今だと感じられる。
気学で日々の象意をしっかり感じて過ごすことは、そういう感性を磨き、その感性は、自分が個という孤高の存在であると同時に、全体という中で活かされている安心感のある世界で生きる存在であるということにも気付けるようになる。
こういう言葉を大切にする意識が、生きる姿勢の丁寧さにも通じ、それは周囲を自然に思いやれる生き方にも通じる。
俳句という一見そういう趣味の人の中だけの世界に思えていたものが、夏井先生の熱意で今の番組で取り上げられて一般的に楽しまれる流れになっているのだと思うと、五大真理の名前というものも、本当に名前を整えて自分の生き方や自分の使命をしっかり意識する人が増えてくる世の中を願えば、今の画数だけの鑑定のように、五大真理で整える名前が主流になってくるときがくるのか…?
でも世の中の陰陽のバランスを考えたら難しいのかもしれないとも思える。
五大真理の整った名前の人が幸せに生きられるとなれば、それを特定の中で囲い込んでおきたいという暗闇も生んでしまうのかもしれない。
2:8の法則と言われるように、やはり早い者勝ちというか、良い名前を使えるのは一定数の人間だけであって、何か役割のある人にしかご縁も無いのかもしれない。