5月になっても、何だか肌寒い感じがして、お風呂も、まだまだ湯船に浸かることが気持ちよく感じます。
湯船に浸かりながら、記憶は無いけれど、人は誰でもお母さんのお腹にいて、羊水に包まれていることを思いました。
そこから産道という細いところを通って、母体の外に出ることになってしまう。
人は産道を通ることで一番苦しいことは経験しているので、どんなことも頑張れるという話を思いだし、お風呂ですら、このままお風呂から出ずに寝てしまいたい…と思うこともあるのに、細い細い産道を通って外に出るなんて、確かに嫌かも、と思ったりしました。
でも母体にいるときは一人きり。
動ける範囲だって狭い。
それが、生まれてくれば、無数の人、無数の自分以外の存在に出会い、苦しいことも辛いこともあるかもしれないけれど、行きたいところにも行けて、楽しいこともたくさんある。
一つの、快適と思う空間に留まらず、変化を受け入れるから、新しいことに出会えて楽しめる。
人は誕生のときに、そのことを知っている。
今の場所から離れるから、新しい場所に行けて、新しいことに出会える。
まさに九紫火星と一白水星の関係。
手離すことはツラいこと、嫌なことと思ってしまうとしたら、それは脳の癖。
手離すからこそ、新しいことが始まる、という手離したあとの一歩先の視野まで持てるかどうか。
気学を学んでいると、そういう視野、思考が養われてきます。
宮本武蔵の五輪書には剣の道を極めるには、そのことを常に意識して日常生活を送ること、というような内容があるそうですね。
気学という生きることと活かすことの基本を学んでいると、お風呂に入るような日常生活においても学びがあります。