私がお伝えしていきたいこと

私は2013年から村山先生の直接の講座を始め、複数の先生と村山先生の過去の講座のDVDから気学を学び続けていますが、私なんかよりずっとずっとたくさん学ばれている方は多く、また、私の頭は興味の薄い部分は覚えようとしないらしく、せっかく学んだことも全部頭に入っているわけでもありません。

それでも学んできたという積み重ねと、やってきた活用の積み重ねは、私の中にちゃんと蓄積してくれていたらしく、2017年秋以降とそれ以前では明確に、気学の大事な部分についての理解がガラッと変わった部分があります。

村山先生の2008年のDVDに、村山先生の気学は生命の把握ということを主眼に進めている、というお話がありました。

生命とは、実体として宇宙の中の切り取った一部分であり、元々は一体で区別の無いもの。

この自覚を理屈で広げていく勉強だと言うお話でした。

2017年秋までとそれ以降では、私の中でのこのお話の理解が全然違っています。

そして昨日の私より、今日の私はまた違います。

気学を学んでいると、どの情報が正しい、間違っている、という見方は絶えず、確かに正しい情報を知ることは大事かもしれません。

でも私は気学は何のために学ぶのか、気学の技は何のために必要なのか、ということに関してお伝えしたいと思っています。

昔は10才まで寺子屋で論語などを丸暗記し、10才以降に武道、華道、茶道というものを行う中、10才までの学びからの、自分なりの解釈をしていったそうです。

その人にはその人の通ってきた人生の中でしか見えない気付きがあり、気学というベースを元に、自分の人生の中で、その気学の学びを活かし、自分なりの解釈を得ていく。

そしてその気付けたことで得られる悦びは、何にもまして、かえがたい悦び。

もっともっと学んで道を極めていくことで、たくさんの気づきを得る。

そういうことをお伝えしていきたいです。