気学の考えにある自分と、自分以外の世界
少し前にムツゴロウさんこと、畑正憲さんの記事を読んだことがあります。
犬に洋服を着せて飼うことも新しい関係性を築く流れとして別に悪いことじゃない、というようなお話でした。
私はその畑さんの記事の中の、人が動物と暮らす、ということは、思うままにならない世界を知ることになる、と書かれていたことがとても印象に残っています。
人は苦労や面倒を、避けられるものなら極力避けたいという思いが大なり小なりあるかなと思います。
でも現実世界は動物を飼わなくても、やっぱり嬉しいことばかりではなく、苦労も多いもの。
それにどう向き合っていくかが、人という知恵あるものとして大事なことというか。
知恵を使うことが人だけに許された能力だとしたら、人に生まれたからには、しっかり考えないと、人である意味が無いという見方も出来てしまうと思います。
自分以外の世界から学ぶ気学
ペットを飼うことは、手間はかかるけれど可愛いさや癒しをもらえる存在でもあることと思います。
人間関係などでも、思い通りにならない存在を、
- 排除したり、
- 反発したり、
- 責めたり、
するのではなく
- 何かしらその人にだっていいところがあることに目を向けてみたり、
- 嫌な人に思えても、そのおかげで自分はそうならないように、と勉強させてもらえると考えてみたり、
- その人だって、そんなふうに人から嫌だなと思われるように育ちたいと思って育ってきたわけじゃないはず、と思ってみたり。
深く深く考えをめぐらせていけば、そんなに自分が責めるべき存在だったのかな? ということに気付けるのではないかと思えます。
気学の相剋という関係性
私の勉強している気学では、相星と相剋という五行の関係性がありますが、相剋の関係は凶ではない、と勉強します。
それは自分と合わない人は合わないことは確かではあるけれど、決して凶の存在ではない、ということ。
- いくらでも合わない人と合せていける方法はあるし、
- 自分が不得意なところが得意な存在、ということも言えるし、
- 自分一人で無敵で完璧ということはありえない、
- 互いが互いを補い合って共存していくことが大事であること
などを教えてくれます。
気学を勉強して
- 「思い通りにならないことを避ける」
- 「苦労の少ない、すんなり進む未来を選ぶ」
というものを求めている間は本当の幸せには気付けないと思います。
だからと言って、別に苦労を買ってでもしたほうがいいとも言わないし、嫌なことも我慢してやり過ごすことを覚えるのが正解とも言わない。
嫌だなと思える人からも教わることは多いし、困った人だなと思える人のおかげで自分が頑張れるきっかけになることもある。
何ごとも自分の受け取り方が大事で、その受け取り方は人として知恵があるからこそ出来ることであり、そういう能力を持って生まれたからには、それを十分発揮すべき存在であることを自覚したいと思える。