欲しい欲しいと言いながら遠ざけている

昨日は九紫吉方でいい話を聞きました。

 

親戚づきあいというのは大変だと思います。

でもマイナスばかりでもないと思います。

特に子供にとっては、多くの親族の関わり、というのは、のちの人格形成にとても大きな影響を与えると思います。

 

うちの母は、父のほうとも実家が遠く、それぞれの親戚づきあいは多くはありませんでした。

だからラクでいいと思っていたそうです。

 

でも今考えてみれば、それじゃあダメだったことがよくわかるわ、と言いました。

 

友達はいらない、という人もいるのかもしれませんが、母は、もっとたくさんの友達が欲しい、と思っていたけれど、自然に疎遠になったりして、なかなか誰とでも仲良く出来て、自然に人間関係が多い人のようにはうまくいかない、というのがずっと悩みだったそうです。

 

でもそれは自分で選んでいたのかも、と言う一言に、体がビビッと震えた気がしました。

 

親戚づきあいは面倒だからいらない、でもいい人間関係は欲しい。

 

これはイコールではつながらないんだ、とストンと胸に落ちました。

 

親戚づきあいも、いい人間関係も、嫌な人間関係も、ひっくるめて考えれば「関係性」「つながり」

それぞれの関係は、その中の小分類なのであって、大分類ではそれらは同じ同類項だった、ということです。

 

となれば、親戚づきあいは面倒だからいらない、という人には、「人との関係」という大分類の部分を遠ざけているのだから、その同じ関係に分類される小分類の「いい人間関係」「気の合う友達」というものが増えて来ないのは必然。

 

天の働き、というのは、よくしよう、よくしよう、と動いているのに、何故か不運に見舞われてばかり、と思い込んでいる人がいたら、まず、よくしようと応援してもらっている、と言う視点から色々見返すと、たくさんの発見ができるかもしれません。

 

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