今年は明治150年なのだそうです。

今年は平成30年。

平成元年生まれの方がもう30歳、というのは昭和世代にとってはビックリです。

平成生まれの子供と話していても、本気か冗談か、昭和ですら歴史だと言われてしまいます。

うちは母の両親が明治生まれ、父の両親が大正生まれだったりもしたので、明治も大正も、まったくの歴史の中の世界という感覚でもありませんが、今年は明治から数えると明治150年なのだそうです。

明治100年にあたる、昭和43年のときには色々明治に対する振り返りがあったのだそうです。

今年もそういうものをしっかり振り返ることが大事である記事を読みました。

くしくも、先日見つけた浅田次郎さんの「日本の「運命」について語ろう」という書籍を読みかけなのですが、今この記事を読んで、浅田次郎さんの本に出会ったのも、必然なんだろうと不思議な気持ちになります。

ちなみに母も浅田次郎さんの小説は好きなので、本を買ってすぐに母に見せたところ、自分の運命の方が心配な母には、日本の「運命」については興味ないわ…と言いたげな視線で見られましたが、目次を見せて、「なぜ歴史を学ぶのか」という話から始まっているところを見せたらちょっと興味を示してくれました。

その中には、今が幸せであるなら、それは誰がもたらしてくれたのか、ということが載っているのですが、本当に誰かがもたらしてくれなければ今の幸せはないんですよね。

私も同じことを去年の秋にハッとさせられましたが、忙しい現代、日々の生活に追われて、目先の幸せばかり追っていてはなかなか気づけない。

それが、気学という気の性質を学んでいくと、何故か自分の中にストンと腑に落ちるように理解出来るときがくるのが気学のおもしろいところ。

人にああでしょ、こうでしょ、と押し売りのように押し付けられても、そうは言っても…と反発してしまうもの。

自分なりの理解が得られることが大事で、気学を学ぶと、その人にとって、その人専用のルートを宇宙がちゃんと用意してくれていることに気づけて、ちゃんと大事なことに気づかせてもらえる。

それだけ気学はこの宇宙の真理であり、根幹。

その真理に沿えば、当然気持ちよく進んでいけるし、根幹がしっかりしていれば、いかようにでも自分の好きなように肉付けして一つの形と成すことも出来る。

気学を学ぶことで、視界がスッキリするような、必要なことがちゃんと目に飛び込んでくるような、大事なことが本当に大事なことだと判断出来るような、そんな自分に切り替わっていくことが出来ます。