確かに何にしてもやりたいこと全ては出来ないかもしれない。
体は1つだし、時間だって使えるお金だって限りはある。
やっぱり何かのためには何かをやらない、という切り捨てる選択が必要にもなってくる。
でも、何かの学びのチャンスがあるとしたら、その学びが自分に必要か、必要じゃないか、という選択で選ぶのではなく、絶対行けないのかどうなのか、という視点で考えて、行けるとしたら、それは天のお手配と言えないだろうか。
天命は目の前にあることをやっていくことで見えてくるもの。
学びの場合は相手から命じられるものでは無く、自分に選択肢があるように思えるけれど、目の前にあることをやっていく、という意味は、やって、と言われて頼まれたりする”仕事”には限らないのではないのだろうか。
また、この学びに行って本当に得かどうか、という視点で考えれば迷ってしまうかもしれないけれど、宇宙、天は損になるチャンスをわざわざ与えないはず。
必ず幸せになる道を示してくれている。
それが例え自分にはそんなに良い道に見えなくても、人間の判断なんて宇宙、天の判断に比べればどれほどのものなのだろう。
四緑木星は整いの星であり、風の星。
風に乗って行くから種は遠くまで飛んでいけるし、無理かも?と思える意外な隙間にも入っていける。
そういう流れに従う、乗ることが出来るから良い縁に恵まれ整っていく。
必ず目の前にくる流れに乗って行けば、紆余曲折はあるかもしれないけれど、最終的に自分にとってプラスの結果がついてくる。
そういうビジョンが見えないとしたら、まだまだ自分は損な目に遭うのではないか、という過去の傷が残っているのではないだろうか。
今年は一白中宮。
世の中、貧病争、色々起きやすい。
どうせ中宮の影響を受けて、貧病争、病気になる、人間関係揉める、お金が出ていく、という事象が現れるとしたら。
もし学びにお金を使ったとしたら、お金はそのとき無くなっても、学んだものは消えていかない。