最近感じるのは、2013年から気学を学んできて、当たり前のことと知っていることが、ものすごく深く自分の中に理解出来る感覚を味わえること。
たとえば人に悦びを与えるからお金という収入を得ることが出来る。
嫌々やっても、それが誰かのためになれば、その分の収入は得る。
より人の悦ぶことを追求すれば、その分与えられる収入も多くなる。
単純な法則。
誰もが知っていて当たり前のような法則。
でもそれが本当の意味で理解出来ていないから仕事が楽しく出来なかったり、歪んだ形になってしまったりする。
何のためにその仕事をするのか。
お金を稼ぐため?
お金は対価。
自分のやったことに対して受けとるもの。
お金を稼ぐことを求めるのは確かに生活する上で必要ではあるけれど、その間に自分の労働が誰かを悦ばせることになり、その悦んでもらったことの対価として報酬を得る、という単純な図式が頭にきちんと入っていることは、意外と大事なことではないのだろうかと思える。
確かに雇われている場合は、やった分が即報酬には繋がらないように見える。
でも必ずやったことの対価は何かの形で得ている。
そのうちの一つは「経験」というかけがえのないもの。
唯一無二の自分のだけのもの。
それは小説の伏線のように活かすも殺すも、その後の自分次第。
どんな行動だとしても、そんな貴重なものを与えてもらっている。
その意識が出来れば、行動することがどんなに小さくても、どんなにつまらないように思えるものでも、その大事さがわかるはず。
そうやって大事な経験を積ませてもらっているうちに、その対価はきっととんでもないものになっていくのだと思える。