ブヨブヨの思い

七赤中宮の今朝、ふと思い浮かんだのはこの言葉。

ブヨブヨの思いではダメだということ。

弓で的を射るにはギリギリ限界まで引き絞ることで的まで真っ直ぐに進んでいきます。

目標も研ぎ澄ませないと、ぼんやりした思いでは的に届くには威力が弱くなってしまいます。

何が何でもやりたいのだという気持ち。

そのためには落ちるところまで落ちるぐらいのことが必要だったりもするでしょう。

今仮吉方に出ている人も多い時期。

吉方引っ越しをして、困難と感じることがあったりする場合は、自分の気持ちを研ぎ澄ませるチャンス。

思いを強め、何が何でもやりたいのだという意識を持つ。

今日福沢諭吉の人物伝をテレビで見ました。

福沢諭吉の、こういうときに、こういう対処をして乗り切ったとか、こういう判断がよかったとか、色々やっていました。

でも、大事なことはもっとごくシンプルなことだと思います。

福沢諭吉には今の世の中をもっとより良くしたい、という思いの強さがあっただけだと思います。

それさえあれば、どんな困難な状況下でも、自分に必要な選択が出来る。

そのときの判断がこうだったからスバラシイとか、あまり意味が無い分析に思ってしまいます。

その場でそのときの流れにいる人間が、自分の目指す意思を強く持って判断するから、結果正しい判断になるだけ。

小手先をどう真似るかより、自分の意思を強め、そこにどんな困難があっても、「やりたいのか」「やりたくないのか」という一番シンプルな判断のもとに進んでいけるかどうか。

自分のやりたいことをやっていくうちに、自分という者の役割を自覚する。

だから子育ては親が与えすぎたり、制限したりしすぎない。

本当に危ないこと以外はやらせてあげるうちに、ちゃんと自分で考え、行動できる子供に育っていく。

そのためには親が制限されている、と感じていては無意識に子供を自分の状況と同じように制限しようとしてしまう。

親自身が自分のやりたいことへと進んでいけば、子供を制限しすぎず育てられる。

ただ、自分のやりたいことをやる、と言うと、じゃあやるべき仕事を放棄して、寝たり遊んだりしたい、となるかもしれません。

でもそれって振り返ってみたら子供のとき通過しておくはずの道だったのではないでしょうか?

それぐらい子供に自分を律して大人の言う通りに強要させようとしてしまうことは、大人になっても弊害になる、ということが言えると思います。

でもそれがわかったからと言って子供のころに戻ることはできません。

だから自分の思うようにさせてもらえなかった、という傷を埋めて次に進んでいくのに、仮吉方や吉方引っ越し、そこまで最初は無理でも日盤吉方取りという方位を取る、という、行動を起こすこと。

これが意外と効いてくるのです。

自分の今までの行動のままでは心はなかなか変えられません。

自分の思うようにさせてもらえなかった、という心の傷は、子供のころに時間を戻せないのと同じ、リセットすることはできないのです。

でもその方位へ移動する、という行動は、心に外側から変化を与えることになり、変わらない、と思った心、癒えないと思った傷の上に、満たされる、という経験が積み重ることになります。

少ない経験の中では、例えば一つの傷は大きくクローズアップされても、多くの経験の中では、その一つの傷は、そういえばそんなこともあったな、と思えるぐらいの経験のうちのたった一つ、という認識に変化させられるということです。

傷という過去を変えることはしなくても、それ以上の満たされる経験さえ増やせばいいこと。

そうすれば自分のやりたい、と思えることに純粋に突き進んで行けて、自分の役割、というものを全うすることへとつながっていけると思います。