九紫火星は南の星で、目標に突き進む星。
誰にも追い付けない領域に突き抜ける姿。
九紫は、師を表したりもするし、
つく、と離れる、という意味も表しています。
師、というと、自分が超せないほど上に行っている人、
のイメージかもしれませんし
実際そうかもしれません。
でも気学を学んでいて九紫の表す師というものは
個と個が、それぞれの領域で突き抜けるから、
互いが一緒に限界を超えて伸びてゆく
という意味を教えてくれていると思えます。
師という言葉を使うと、
言葉の持つイメージに惑わされやすい気がしますが、
単純化してとらえれば
自分の知らないことをたくさん知っていて教えてくれる人。
ただそれは、たくさんの量とは言っても、
何もしなければそれ以上には増えないもの。
でも学ぶ側が成長すれば、
当然教えてくれる側も成長しなければ
教えるものはいずれ尽きる、
という危機感を持てたりもする面もありますし、
もっと大事なのは
学ぶ側の持つ考え方、という
新たなものを知るチャンスが持てること。
それを取るに足らないものと判断してしまうのではなく
そこにまだ自分の限界を超えて
自己の成長の材料として活かすことが出来るかどうか。
学ぶ側の、より成長しようとする意欲と
教える側の、より成長しようとする意欲、
両方が合わさった時、
無限ループのように、どこまでも突き抜けて進んでいく、
ちょっとやそっとで消えない巨大な炎の塊になっていく。
私の先生が、先生と呼ばれるのを嫌がっておられ
まあ先に生まれたっていうだけでね~
なんて謙遜しているみたいに思われるような言葉ですが。
学びは、相手を先生という六白の存在としての関係性も大事だけれど
学ぶ側が、師を作る、
そんなことを考えたりもします。
私もお教えさせてもらう側として、
受け身的に学んでいただくのではなく、
意欲的に学んでいただくためにはどうすればよいのかということを、
常々、頭に置いています。