私が車の免許を取ったのは、かなり成り行きでした。
まだ独身で働いていたころ、可愛がってくれていた上司の方が転勤し、転勤先で教習所も担当していると言う話から、かなり気楽な感じで
「私も免許欲しいんですよね~」
などと口にした言葉から、あっという間に親身になって教習所の方と話を付けてくださり、通うことになったという顛末。
確か当時、土日で取れる教習、というのをスタートさせたばかりだったのか、テスト的に試行してみただけだったのか、とにかく見知らぬ4人でこじんまりとスタートして、無事取ることが出来ました。
ただし、その後しばらく、結婚して引っ越しをするまでは完全にペーパードライバー。
でも子供が出来て、乗らざるを得なくなって、今はどこに行くにも車状態。
本当にあのとき取っておいてよかったなぁとつくづく思うほどなのですが。
何というか、無意識下でフッと感じることに乗ってみる、人の話に乗ってみる、ということの大切さを感じるのです。
あのときあの上司の真心に、いえ、やっぱりいいです、と言わずに、ありがたく話に乗ったことが今に繋がっているということ。
何でもそうだと思うのですが、そのときは必要ないことだったのでは、と思うことも、何かその後しっかり活かせるように、本来は誰でもがそうなっているのでは、と思ってみたりします。
生きている中で、本来、無駄なことは何一つ無いというか。
すべてを糧にして、成長したり、活かしたり。
だからこそ日々起こることを大事に受け取め、感謝する。
そうすれば過去の経験が今に繋がってくる。
…こんなふうに書くと、何だか道徳的な話みたいに聞こえるかもしれませんが、私は九星気学(社会運勢学)の勉強を3年ほどさせてもらった経験のおかげで、今こんなふうに考えられるようになってきました。
九星気学は占いのようにも思えるし、色々な活用で開運したりするように思われると思いますが、色々な活用はすべて自分の心を変えていくための手段の一つ。
かなめになるのは、自分の心をいかに成長させていくか、ということ。
九星の一つ一つは、ただこの星の人はこんな性格、とか、この方位に行けばこんなことが起こるとか、そんなことだけじゃない。
たくさんの「生き方」を教えてくれます。
私もまだまだ勉強途中ですが、よい師に巡り合えたおかげでたくさんのことを学ばせていただいています。
今までの経験をしっかり余すところなく活かしきれるように、日々過ごしていかなくてはと思いました。