今朝は出掛ける前、車に乗ろうとしたところで家の2階の窓を閉めるのを忘れたことに気づいた。
今さら鍵を開けて2階へ上がって…時間も無いし…まあ滅多なことはないか…と、散々あれこれ考えたけれど、
「本当に後悔しない?」
と自分の頭にそんな声がよぎったとき、やっぱり思い出したことには意味があるだろうと思って窓を閉めにダッシュした。
思い出さずに完全に忘れてしまっていたときは仕方がない。
でも思い出したのに閉めずに泥棒に入られたり、雨が降り込んだりしたら、と思うと、やっぱり「あのとき閉めていればよかった」と後悔すると思えた。
それに、今これを書いて思ったけれど、思い出したということは、その思い出した、というチャンスを”活かす”ことが大事だったのではとも考えられる。
気がつくということは意味があってのこと。
それは虫の知らせでも人からの言葉でも、きっと同じ、天のお手配だと考えたらしっくりくる。
今までは、これぐらいのことならまあいいか、と気になったことをスルーしたこともあったけれど、それをすべて活かしていたらどうだっただろうか?
その一つ一つに何か目に見える成果につながっていたかどうかはわからない。
でも、そうやって些細に思えることも大事なことと同等に扱える習慣が身に付いていたら、今の自分はもっと真摯にすべてを活かせる人間になれていたかもしれない。
そうは言っても過去は変えられないし、今日気づけたことに感謝。
もっとすべてのことを大事に。
ふと頭に浮かんだことを大事にすることもそうだし、今それをやるのか、やらないのか、という行動をどうするかの決意決断に責任を持つ。
やる、と決めたらやるし、やらない、と決めたらそのことに対してやればよかった…とグチグチ後悔しない。
そのかわり、どうしてやらないのか、そこまで追求しておかないと後悔する。
極端だけれど、例えば自分はどうして2階の窓を閉めずに行くのか。
絶対行き先に遅れたくない。
だから窓を閉めに戻らない。
そう決めれば、例えば泥棒に入られたとしても、待ち合わせに遅れないで済んだからヨシ、と言えるはず。
選ぶときは、どちらかは選べない。
今年、今月は九紫中宮。
自分の目的へとどこまでも追求して進んで輝いていく星。
その中では、常に選択の連続。
自分の目的に必要、不必要。
そうやって常に選んで、一方で手離していく。
手離していくから、目的のものに近づいていく。
常に些細なことから決断して進んでいく癖をつけていくことは、目的達成に必ず必要なスキル。
それがこんな日常の些細なことから習慣付けられることに気づけた。
何も特別なことは必要ではなく、今の生活の中でやれることはたくさんある。
気学という辞書を頭の中に持っていると、たくさんの日々の事象から”自分”に”今”必要な、すべきことが見えてくる。