家族でも職場でも身近な人のことで問題を抱えていて、やれることは全部やっているつもりでも、なかなか事態が動いてこないとき。
やれることをやっているのは本当に相手目線なのかどうか。
自分はこれだけやっているけれど、これ以上はどうしたらいいかわからない、となるとき。
自分に出来ること、をどこまでも追求したり模索するのは、本当にその人のことを思って、になるのかどうか。
意外に答えは簡単なことで、相手の行動を尊重することを許容することが一番その人が望むものではないのかどうか。
誰だって好きなようにしているときが一番嬉しい。
それがはたから見ていて嫌なことでも心配なことでも、その人にとってはそれをすることが今の一番なのだとしたら、ただそれを許容して、本当のサインを見逃さないようにするだけ。
そのためには、こちらはああでもないこうでもないと策を労していては相手のサインに気づけない。
ジッとこちらは黙って相手を見守るだけ。
必要なサインが出るのを待つだけ。
三碧木星は朝日の星で声の星。
時にはその声の明るさに救われることもある。
でも三碧木星は雷の星で、音あって形なし、という星でもある。
言葉で、相手に何かを言ったり聞いたりしても、それが本心かどうかはわからない。
一瞬の稲妻の閃光を見逃さない。
遠くの雷は音は聞こえないこともある。
その人の奥底の思いは光しか届かない、ものすごく奥深くからのサインかもしれない。
自分が今、これ以上どうしたらよいのかという事態の中にいるとしたら、本当に手を尽くしたと言えるのかどうか。
その人が体を張って、自分に、人のために尽くすとは何なのか、という、とてもとても大切なことを教えようとしてくれているのではないかという視点で物事を考えてみるのも一つの手。