いくつになっても母親はやっぱり基盤

うちの母は、本当に子供に愛情をかけて育ててくれたのだと思う。

だから私は本当に苦労知らずで生きさせてもらっている。

うちの妹に対しても同じなのだけれど、母も親元を離れ、慣れない土地で2つ違いの子供を一人で育てるのには苦労もあったのだろうと思う。

昔から、私を産んだときは、結婚して幸せ一杯のときだったから私は運がいいけれど、妹のときは大変だったから、やっぱりアレルギーもあったし、色々あるわ、と言っていた。

結婚ひとつとっても、私はハタチそこそこであれよあれよというまに職場結婚してしまったけれど、妹はずいぶんと母もやきもきして結婚出来るようにあれこれ苦心していた。

そんな妹も今や一児の母。

子育てに全力を注ぎ、頼りなかったり、奔放な我が子を少しでもいい子に育てようと必死になっている。

ちょっと必死過ぎて、もうちょっと肩の力を抜いてもいいのではと思ったりするぐらい頑張っている。

でも妹自身だったら絶対やらないようなことを平気でやろうとする自由奔放な自分の子供には結構手を焼くらしく、これぐらい言っても全然やらない、自分が子供のときはこんなじゃなかった、とよく言っている。

そんな妹の子育てを見ていて、やっぱり妹の中の母に対する思いが色濃く影響しているのだろうなと思える。

妹から見た母は長女の私の方が手がかからず、妹には手がかかったという思いがあるようだけれど、その評価は間違っていて、妹自身は自分が小さいときは、妹自身の子供と違ってここまで手がかからなかったはず、いい大人になったいまだに、自分は手のかからない、いい子だったと認めてほしい思いがあるのだろうと思う。

もちろん母は妹のことだって頑張ってることもわかっているし、認めてもいる。

それでも私と比べるとどうしてもという部分は何か感じるのかもしれない。

でもそこは本当の問題ではない。

問題は妹自身の中で、それが消化しきれていない思いがあること。

だから自分の子供のほうが手がかかる、という状態を母に見せて、母に、孫の肩を持つのではなく、自分を認めて、自分に共感してほしい。

本当にそうね、妹のほうがずっといい子だったと、きっとまだ認めてほしい、子供の頃の傷ついた自分を抱えているのだと思う。

妹も毎週のように母に会いに行き、何だかんだいって仲はいい。

母も妹には感謝しているし、愛情だってたっぷりあるはず。

表面上、よくある、どちらかといえば、ちゃんと仲のいいほうの親子に入るはず。

でも妹が、あれだけ自分の子供に手を焼くことから見えてくるものがある。

なまじ仲の悪い親子なら改善点もわかりやすいかもしれない。

まさかそこに、子供の頃の母への傷ついた思いが眠っているなんて思いもしない。

それでももっとよくなるための方法は妹の子供が見せてくれている。

毎日毎日自由奔放にやっては妹に怒られながら、妹の中の母親への思いを切り替えることで、もっと幸せになれことを体現してくれている。

妹が、もっとよくなるために、気づいて、気づいて、と体現してくれている。

子供に手がかかって本当に大変、という場合、ちょっと視点を変えて見てみると、もっと幸せになるコツが意外な形で見えてくる場合もある。

自分が母親になってなお、自分が受けた幼少期の傷が見え隠れすることもある。

癒えたつもりで、フタをして覆い隠しただけのこともある。

自分が母親の立場なら、子供が小さいうち、これ以上になく愛情をかけて育てることに全力を傾けたいし、どんな立場でも、いい大人になっていても、自分自身の中にも、平気と思っていることが、意外に尾を引いていることにも目を向けてみたい。

今年は一白中宮。

裏側に潜んだ思いに気付きやすい時。

今年を逃せば次に気づけるのは九星が一巡する10年後になる可能性もある。

今月は九紫中宮。

物事が一番よく見えて、頭が一番冴えるとき。

今月しっかり問題に着目し、来月、八白中宮。

しっかり問題を切り替えて動けるようにしたい。

 

母親への思いに対して、主人視点でも考えてみた記事↓

『原点は母親』
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