主人のルーズなところが目につく、ということについて、チラッと書いてみたけれど。
『一白水星という星』
我が家の主人はギターが好き。 私がリビングにいる間は基本的に弾かないようにしてくれているけれど、た...
これは主人にルーズさを無くしてもらう必要があるのではなく、私自身の中の解決すべき問題があるという話し。
それは、どうしてルーズさが目について嫌だと感じるかを考えてみればわかる。
例えば主人が天皇陛下か大好きらしいさだまさ●でも一緒に住んでいたら、同じようにルーズだろうか?という話し。
居住まいを正し、きっちり丁寧に生活するのではないのだろうか。
そうしないということイコール、それだけ自分が軽んじられている。
そんなふうに思えてしまうから、ルーズにされることが嫌だと感じてしまうのだとわかる。
そこまで自分自身に自覚があっても無くても。
でもそこをしっかり自覚して、それが嫌だったんだと思えば、主人の問題ではないと気付ける。
自分の問題だと気付ける。
人のことはどうこう出来ないのは当たり前。
でも自分のことならいくらでも変えられる。
だから、自分の問題と相手の問題、何が問題になっているのかをすり替えてしまっていると、いかに主人をルーズにさせないか、という話しになってしまい、問題がズレてしまうし、当然解決には至れない。
解決すべきは自分自身の問題と気付くこと。
これは主人に限らず親の事、子供の事、何においても同じ。
気になるのは自分自身。
迷惑に思うのも自分自身。
イライラ怒りたくなるのも自分自身。
頭を悩ませるのも自分自身。
自分自身がどうしてそう思うのか、今年は一白の年、深い思考が出来る年。
しっかり自分自身と向き合い、何故なのか、にたどり着きたい。