先生の言わんとする鑑定

前からも時々あったけれど、最近の気学塾でも気学の鑑定方法を教わった。

何気ない会話の中にも潜んでいるメッセージがある。

なるほどなぁと思った。

それは鑑定の仕方に、じゃない。

先生が気学の鑑定の仕方を教えて下さる意味について。

 

それはきっと、

気学の鑑定の技術を磨いて人の鑑定をして、

一人でも多くの人を幸せにしてあげるためなんかじゃないということ。

 

人の鑑定は難しい。

絡み合った九星の読み解きは色々出来る。

そこから本人すら気付けていない部分に光を照らすのだ。

話の持って行き方にテクニックがいる。

でもそれもテクニックを学ぶ気持ちではダメ。

まあそちらの話は置いておいて。

 

先生が気学の鑑定の仕方を教えて下さる意味について。

 

気学を勉強していると、自分の中の本当の自分と向き合うことがいかに難しいことに気付かされる。

多く望むのは罰が当たる、今ぐらいの幸せでいい、という言葉の裏には、今より何か新しいことをして苦労したくないし、別に頑張りたくない、という気持ちが眠っていたなんて思いもしなかった。

でもこういうことは、聞く側、受け取る側も聞く耳のあるときでないと、この意味が自分の中に落とし込めない。

 

 

例えば幼稚園児に大学で習う専門知識のおもしろさを説いてもわからないのと同じ。

幼稚園児には幼稚園児のわかる例えで話さなくては伝わらない。

でも幼稚園児なら見た目でもわかるし、どのぐらいの話であれば難しすぎるという判断もつきやすい。

でも鑑定の相手が今どういう言葉なら理解できる人か、受け取ることができる人なのか、という部分の判断は簡単に判断できない部分もあり、それを引き出すには別の技術がいる。

だから人を鑑定するのは気学を覚えるだけでは難しい。

 

でも。

じゃあ自分のことならどうだろうか?

自分になら、人に話すのと違い、特別考えてわかるように説明する必要はない。

自分のことなのだから。

自分に起きた現象で、自分の考えうる選択肢の中で判断がつけられる。

 

そう。

 

鑑定の話をするのは、人をどうこうではなく、

自分のために、

自分を成長させるために、

起きてきた現象から、「気」の流れからのメッセージ、宇宙のくれたメッセージを、

こうやって読み取るといいよ、

ということを教えてくれている、のだと思う。

 

 

気学では、いつも人より自分が幸せになることが一番先、と言われる。

自分が変われば周りは自然と変わってくると。

鑑定も同じ。

鑑定の技術を得て人助け…という気持ちでは相手に寄り添うことは出来ない。

人のことより、まず、自分が成長していく姿を見せることで、人はその人なりに気付いていける力を持っている。

だから。

自分自身こそが、宇宙からのメッセージをたくさん受け取っている毎日にいかに敏感になるか。

そのことを大事にしたいと思えた。