三碧の日は本当に青いものにあふれているのか?

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日盤吉方を取って、日々の生活の中で、この現象は九星で見ると何の現象だろうか、という思考が当たり前になっていくと、気学を知らない人には、気学にとらわれ過ぎているように映るかもしれない。

それに、日々気学を活用していると、三碧の日だからやっぱり大きな音がするね、とか、青い車をよく見るとか、コンビニの店員さんはやっぱり若い男の子だった、と思う人がいる反面、そんなのこじつけ、意識するから目につくだけで、別に三碧の日じゃなくても音もするし、青い車も見るし、若い男の子もいっぱいいる、となる。

つい今朝までは、それでも、そこに気付くから、今まで何気なく見過ごしていた日常に、「気」の存在を感じるから、「気」の存在が確かにあることを実感して、実践して活用していこう、という潜在意識の部分で納得できるようになる。

また「気」に気付くから、その流れを活用することも出来るし、チャンスに気付いて乗ることも出来る。

そういう意味で、周囲に何が目につくのか意識する必要があり、たとえ、今日は三碧中宮と意識してしまうことで青いものが目につくのだとしても、そこに目が行くことが大事なんだから、という意識までだった。

でも今朝、北の日盤八白、月盤五黄方位へ日盤吉方を取りに行きながら思い至ったことに、三碧の日らしく本当にビックリさせられた。

それはーーー。

三碧の日だと意識しなければ、現象は確かに九紫の現象も一白の現象もまったく存在しないわけもない。

でも、その中で三碧の日に三碧のことに目が行く、意識する、ということには、もっと大きな意味を教えてくれていた、ということに気付けた。

天地人

この九星を意識するということは、天地人の天が十干、地が十二支で、九星は人(じん)の部分。

そう。

天と地の間にあるものすべては、ただ、人(じん)という一つの世界があるだけだった、ということ。

それを気学では九星として九つに分類しているわけで、騒がしいものは三碧、苦労は一白、など物事以外に現象すらも九つに分類が出来る。

だけれど、九星だって、分類のしにくいものもあるし、意味合い的にはこちら、あちら、とその時々の解釈によって違うものもある。

そんな曖昧なものでは物事正確に判断できるわけがない、だから気学なんて正確性に欠ける、という見方をする人もいるかもしれない。

でも九星というものは、一つの星を中心として8つの星に囲まれ、大きな視点で見れば、それが九つ揃うことで一つの完成形を表している。

要するに、三碧だ、一白だといったって、広い視野で見れば九星、という一つの人(じん)の世界に存在するものという”くくり”に入ってしまうものだということ。

人間だっていろんな面があって、あの人と私は違う、というのは当たり前だけれど、種族として犬から見れば人間は人間。

でもそれも天地から見れば、犬も人間も生物も、単純に天地の間にあるもの、というたった一つの”くくり”の中に存在するもの、でしかない。

でもそんな世界を、あえて気学は九星で見る。

九つに分類するから、その現象から色々なことを判断し、次の行動につなげていける。

ゴミの分別だって、どのゴミも「ゴミ」であることには変わりない。

でも資源ゴミ、燃えるゴミ、粗大ゴミ、など分別するからリサイクルされて活用される。

わざわざ分けなければ、ただのゴミ。

活用するためには、まずそれが何ゴミかを意識して分別することから始めないと何も始まらない。

人も、いろんな面があるけれど、あえて一つの面に注目して見ることで、見るからこそ、注目した部分を生かしていくことが出来る、ということ。

三碧中宮の日は、三碧木星の現象と象意だけが存在するわけもない。

だって三碧中宮の日は三碧が中心に座っているだけで、他の八つの星が消えてなくなるわけでもないのだから。

他の星は他の星でそれぞれが定位置についていて、一つの完成形を保っている。

九星は九つ揃って人(じん)の世界。

それでも三碧が中央にいるという事実にも変わりはない。

そしてその中宮の星の影響が周囲に大きな影響を及ぼすということも事実。

だから、いちいち活用の必要ない部分にまで事細かに追求する必要も無く、自分がそのとき生かして活用すべきものに対して注目し、認識し、分別し、活用すればいい。

九星として分けて日々意識していくことは、あふれる情報に意味を持たせるため、何が自分に必要な情報なのかを意識するために、とても大事なことだった。

そのことに、今日は改めて気付くことが出来た。

五黄の力

今日はなぜか吉方に迷った。

色々な方位が取れる日だったので、普段取れない南側の方位を取ろうか、でも最大吉方に行こうか、やっぱり普段行けない南側の同会方位に行こうか、最近は月盤の影響を感じるようになっていたので、月盤も見た。

天道は吉にならず、残念だけれど、月盤も吉方を選べばいいか、と迷いつつ、北方位の吉方の際、時々行くようになっていたコンビニが近々閉店されて行けなくなる、ということがどこか気にかかり、北の月盤五黄、日盤八白方位に行くことにした。

北の月盤五黄。

あえて五黄に行くのがおもしろいかな、ぐらいの気持ちが少しぐらいあったけれど、ここまで、とは思わなかった。

やっぱり五黄は欲しいものを引き寄せる強い力が確かにある、とつくづく感じた。

多分今日自分がわかった、と思えたことについては、気学講座で聞いていた話の中にその意図が含まれていたのだと思う。

でも今まで聞いてきたどんな話も、今日気付いたような、嬉しくて飛び上がりたくなるような理解、ではなかった。

人から聞いた、話としてはわかっていたつもりでいた内容も、自分の中でちゃんと意味まではわかっているようでわかっていなかった世界。

でも今日の気づきは、自分がわかった、と思う以上に、湧き上がってくるような実感の世界だった。

日盤吉方のすごさ

気学のすごいところは、ものすごい体験をしたわけでもないのに、ものすごい気付きに出会えること。

日盤吉方なんて誰でも出来ることの中から、自然の美しさを感じ、毎日変わらず昇ってくる太陽の存在から今日も日が昇って一日が始まったことに悦びを感じ、流れる雲から空の偉大な広さを感じ、雨風の荒れる脅威から自分にはどうしようもない力を感じ、日々一日として同じ感覚ではないものを与えてくれる。

そして今日のような、今まで頭にあった情報が、突如さなぎが蝶に変化でもするように、大化けするようなハッとさせられる瞬間がくる。

日盤吉方は100円貯金などと言われることもあるけれど、確かに100円貯金だって大事なことだし馬鹿には出来ないけれど、私の実感では日盤吉方はやっぱりそんな100円ずつためて、大きな凶がもし来た時にでも、少しでも無事に過ぎるように? そんな小さな話じゃない。

もっとものすごく大きなものにつながっていくもの。

今まで気付けなかったことに気付いて、人生観がひっくり返ってくるような。

この毎日の、30分から1時間ぐらいの時間を使って往復する、短いような長いような貴重な時間。

でもそれは、ものすごく大きなものを得ることが出来る時間だと思える。