宮沢りえさんの結婚報道から、文字に注目する記事のリンクを辿る中で、おもしろい記事を見かけました。
読んでいて、気学とまったく同じだなあ、と思いました。
ゴルファーだって、という言葉に、確かにオリンピックだって、あそこに出るぐらいの実力があっても、あの場であの瞬間に力が出せる人、出せない人もいる。
それでも練習を続けるから、少しずつ精度も上がるし、ここぞのタイミングで一番の力を出せることが大事という最優先事項も理解出来るようになる。
ちょっとそれとは違うかもしれないけれど、線路日にしても、病院方位にしても、ちょっとやってみたけど、本当に?という結果になると、口では何のかんの言っても潜在意識で、気学ってたいしたことない、というほうに傾いてしまう人も多い。
でも、私はそれは物の見方の相違だと思う。
気学はもっと長いスパンでの人間の成長と発展を目指すもの。
病院方位だって、そのときいい印象の先生に当たらなかったとしても、吉方に行っているなら、結果として長い目で見れば、そのときその病院に行けたことが、確実に次に繋がっていくと思う。
方位に外れはないと学んでいるのだから。
そして線路日は伸展性の法則だから、必ずしも物事うまくいくとは限らない。
それでも失敗してたとしても、そこから得るものは必ず大きく伸展するのだったら、やっぱり大事なことは線路を選びたい。
講座の中でも、凶方で行っているなら手術日は線路にしたくない、という話はあったけれど、それ以外は線路でいい、と言われているのは、そういう長い目で見ての話だと解釈している。
気学も美文字も色々な競技も、続けてやる中で、毎回100%の正確率を出さないとやる価値もない、となるものではなく、理想の100%をどこまでも求める気持ちと継続する行動。
結局この世の中はすべてのことが宇宙の真理に則って動いていて、どんなことも、その仕組みがわかっていて、いかにその仕組みに合わせようと出来るかどうか。
気学を知らなくても、その法則性に行きつく場合もあるけれど、気学で論理的に基礎を学んでしまえば、あとの理解と活用は早いと思えます。