自分成分

気学は、まず生まれ年で分けて考えます。

だから自分がどんな性格でどんな特徴があるかなんて九星なんていう九つで分けられたらたまらない、という声もあります。

私の学ぶ気学では本命と月命を見ることで傾斜と同会も決まってきて、単純に九種類ではない、と言っても81種。

確かに9種類よりは多いとしても、たかだか81種。

やっぱり人間なんてそんな単純なものではない。

同じ顔の人がこの世に3人ぐらいはいるらしいけれど、ほとんどいないに等しいのと同じ、同じ性格の人なんて多分いない。

それは同じ生まれで同じ経験をした人なんていないから。

一人一人が違う人生を歩んでいるからこそ、単純にこの人とは相性がいい、悪い、では分けられない。

ただし特徴は特徴。

そこをとらえつつ、その人に合わせてみよう、という視点を持つことが大事だと思う。

そして、ついつい忘れてしまいがちなのが、この人はちっとも言うことを聞いてくれないとか、断定的にとらえてしまうこと。

人は変化する。

自分だっていつまでもまったく変わりがないわけがないのと同じ。

でも何だか人のことは自分の脳内で更新しにくい。

人も自分もそんな単純ではない。

色々複雑な要素がミックスされて今があるし、そこからの未来は未来に体験すること、考えることで変化する。

関わる人や出会う事象によって、知らなかった自分を知ることもある。

だから気学も同じに思う。

一白は陥入で万初で交わりで穴で、と、特徴はそれとしてあるけれど、それを踏まえてのもっと深くて広い捉え方があると思う。

村山先生が、展望の365日本を出されるとき、その星の象意の説明を、毎年変えていこうと思ってるんだよね、その方が面白いでしょ、いくらでも書けるよ、と楽しそうに言われていた。

そんなにたくさんの書き方が出来るほど捉え方があるのだとワクワクした。

私も、もっと、九星の話だけでどこまでも話せるようになろう。

気学の魅力はこんなものじゃない。

そして人間もやっぱり同じ。

魅力も可能性も無限大。

だから、こんな人あんな人決めつけないで、もっともっと深く向き合えばいい。

気学は宇宙全体の話。

だから物事を大きく大きくとらえることが出来るようになるから、個人の思考回路もどんどん広く広くとらえられるようになってくる。

 

気学の話をすると止まらなくなる。