幸せじゃないわけじゃない

「幸せですか?」

そう聞かれたとき、「すごい幸せなんです~」と即答できるのは人生の中で新婚さんのときぐらいでしょうか。(笑)

「幸せですか?」

と聞かれても、ハッキリと「幸せです」とは言い切れない。

でも

「幸せじゃないのですか?」

と聞かれたら

「幸せじゃないわけじゃないんです」

と言う人。

また、ご両親のこと、もしくは旦那さまのことを

「好きですか?」

と聞かれて

「嫌いじゃないんです」

と言う人。

 

これ、これなんです。

私自身、一白中宮の年に入ってすぐに苦境に陥って、色々考えたのです。

本当に色々考えているうちに色々自分なりに答えが出せて、今ものすごく晴れ晴れして前向きな気持ちになれているのですが、この、「幸せじゃないわけじゃない」とか「嫌いじゃない」と言う言葉について深く考えたことありますか?

 

人は、相手を傷つけることを言ったらよくないと知っているし、相手に不満を持つのは人格がよいとは言えないこと、とわかっている。

相手も頑張ってくれているのはわかっているし、とか、もっと大変な人は世の中にたくさんいるし、とか、自分なんてこんなに幸せなのに、恵まれているのに、不満を持つなんてとんでもないこと、とか。

そんなふうに思ってしまっていないでしょうか?

 

 

でもそれってどうなんでしょう?

すでに不満は発露してしまっていませんか?

不満というと言葉がきつくなりますが、不満足、満足セズ、not満足、満足していないのですよね?

そういう心を、嫌な自分になりたくないために、いろんなもので覆い隠しているだけ、と考えたことはないでしょうか?

もちろん本当に感謝の気持ちもあるし、嫌いなわけでも不幸だとも思っていない気持ちも偽りではない。

 

でも、よく宇宙はシンプルですと教わります。

病気になりたくない…なりたくない…と思っていると、宇宙は、病気になりたいのかな?と思ってしまうと。

だからなりたい自分を宣言することが大事だと。

 

だから自分の気持ちも、幸せじゃないわけじゃないとか嫌いじゃないとかは、結局宇宙的思考でいくと、白か黒か、0か1か、満足か不満かと言われれば、少なくとも私は不満判定だったわけです。

 

 

えっ、自分って不満だったんだ?!

 

 

いや、本当にビックリした、そんな感じでした。(笑)

気付いてなかったの? 自分で? ぐらいな感じ。

でもそっかー、もっとこうして欲しかったんだなーと思えたんです。素直に。

そっか、そんな不満の心があったけど、いじらしいじゃん、こうして欲しいという求める気持ちがあったんだなーと。

 

それまでは、そんなの気にしてないとか、気にしないようにしてるとか、まあ誰だって何かしらあるしね、とか、いい面もあるしとか、だいぶごまかしていました。

 

でも違うんです。

 

そうやってごまかしているときは、本当にこうなりたいと思っても、今のこうなりたいという気持ちと、重みが全然違うのです。

 

ものすごくみっともない自分がいて、それを認めたからこそ、このままじゃ絶対嫌だー!という気持ちがフツフツとわいてきたんです。

もう絶対変わりたいって。

 

そこで、あ、これだーーーー!!って思いました。

一白の時、困難の中で、フツフツ湧き上がる気持ち。

これかー、これだったんだーと。

 

多分本当に切羽詰まらないとやっぱり強い気持ちにはなれないものなのだと思います。

絶対に嫌だという気持ちが大きな大きなバネになってくれるんです。

 

苦労して沈むから、バネが沈んで大きく伸びあがるようにっていうのも、これだーって、もう目からウロコで、目の前スッキリ。

今頃私を知っている人も笑ってますよね。

テンション高って。(笑)

 

でも嫌な自分がすごく嬉しいというか、そのおかげでこんなふうな気持ちになれたことが本当に嬉しいのです。

その気持ちがなければ、ここまで変わりたいと思えなかったし、それに気づかせてくれたのはこの嫌な気持ち。

 

ああ、これが先生がいつも言ってた、地獄に仏であり、おかげさまであり、陥入の必要性かなーと。

 

不満って五黄殺的な感情とも言われて、すごく忌み嫌われるものでもありますが、この感情があるからこそ、五黄には発酵という力もあり、上手に転換出来れば、大豆が納豆になるみたいに、より美味しく栄養価の高いものに変えることだってできる。

人間誰しも不満という感情を持つことはあって、不満という感情を持っていること自体が悪でも何でもなくて、それを腐らせることがよくないものであり、腐らせず、よいものに切り替えていける原動力にもなりうる、ということです。

(当然五黄の人全員が悪人というわけでもなく(笑))

 

そして自分の感情を見つめ直すことは、決して自分の我慢を解放してストレスを解消するとか、自分はなんて不幸だったんだと自覚するとか、そんな意味じゃなく、自分が切り替わるきっかけのために見つめ直すものです。

 

やりたいことがあっても、いつかやりたいな~…と思っていた気持ちがある中で、例えば死にそうになったとしたら、ものすごく強い思いで心底やりたい!!という気持ちになると思いませんか?

死にそうになってしまったとき、あれもやってないのに…これもやってないのに…なんて悲観したり怒ったりするより、大事なことは、その思いをどう実現にもっていくか、ではないでしょうか。

 

だから、「幸せじゃなくはないけど」とか、「嫌いじゃないけど」という気持ちからもう一歩踏み込めば、きっと今まで以上の幸せに大転換出来ると思います。

 

変わりたいけど変われない、変わろうとして努力しているけど変化しない、そんな人には本当に自分と向き合ってみて欲しいと思いました。

絶対変われると思うので。

 

こうやって私自身が切り替われたのは気学の学びのおかげ。

気学はどこまでも奥が深い学びです。