先日、「困難は」の記事を書いた際の話です。
あの日、本当に些細なことがあったのです。
事情を知らない人に話したとしても、それがどうしたの?というぐらい、本当に些細なこと。
でもその些細なことに対して、息子が、ただよかったねという顔をしながら無言でうん、と頷いてくれたのです。
そもそもちょっと困難というか、難しいことが続いていたという状況があったので、些細な出来事、ということ自体に悦びがありました。
でも同時に、その些細な出来事に気付いてくれた息子がいてくれたことも嬉しかったのです。
そしてその些細なことに対しての私の悦びを、息子が気付いて共有してくれたことにも感動してしまったのです。
それであまりに自分の中で感動した気持ちがあふれたことから、あの日の投稿になりました。
あまりに短くしか書けなかったので、何かもっと気学的な話に広げて書き足そうかと迷ったりもしました。
でもあのときは、どうしても他につなげる言葉が見つからず、この衝動のまま投稿してみよう、と投稿してみました。
本当に気学を学ぶという行為はすごいです。
些細なことが本当にうれしくて感動するようになりました。
気学に出会えたことで人生が変わりました。
はたから見れば私は気学を学ぶ前とは一歩も場所を動いていないように見えるかもしれません。
でも自分の立っている場所の地下に、ものすごく深い深い穴を掘れているような感じがするのです。
あのときのほんの短い記事の裏には、実はそんなことがありました、という話しでした。