2018年度の三碧木星の展望と開運365日本を読んでいて感じたこと。
三碧の人は壁にぶつかっても、スルリと方向転換できる軽やかさが大事と思っていた。
でもそうだろうか?
三碧には背くという意味もある。
背く意見、背く人を切り捨てていては発展は無いと学んだ。
背くものをいかに取り入れてより大きく発展させていけるかどうかが三碧の力。
となると、スルリと方向転換するのは少し違うように思えてきて考えてみる。
壁になっているものに対して、そっちに進めないならこっち、と簡単に道を変えているのではなく、どうしても壁の向こうへ進みたい…!という強い思いがゆえに、その強い強い意志が伸びて伸びて伸びた先が壁から曲がった形で伸び進み、方向転換したように見えながら、新たな道を切り開いているだけじゃないのか。
三碧には一白、二黒があってこその産と言われるのは、なるほど、どれだけ前に進めない壁の前で、あきらめず、それでも進みたいという思いや力を溜められるかどうか。
三碧には音あって形なしの意味もある。
スルリスルリと進んでいる人は、軽やかに上手に進んでいるように見えて実力はついていない?
簡単に方向転換してしまう人はこちら側になるのでは。
筋肉だって負荷をかけて鍛えるから強靭な肉体になるけれど、大事に大事に筋肉に負荷をかけないように、使わずにいれば、いずれ歩くことすら困難にさえなる。
そんなことを展望と開運365日本の中の無重力下における植物の実験の話から、自分が植物になったつもりで考えてみた。
ちなみにこれは三碧木星の人の話だけではない。
長男の生き方の話でもあり、次男であっても長ずる男としての生き方の話でもあり、ならば本命三碧木星以外の女性には関係ないと言えるのか?
三碧木星は発展の星。
これは人生を発展させるための知恵。
何かの困難にぶつかった時、困難に思える人が立ちはだかった時、どういう気持ちで動くべきなのかを教えてくれるもの。
動きたい自分の思いと動かない相手の思いとの間で、いかに力を蓄え、知恵を振り絞るか。
その踏ん張りは、樹木になったとき、そこから花を咲かせ実をつけるとき、必ず役立つ力になる。
こうやって、わかっているように思えることでも、繰り返し繰り返し学んで考える中で、新たな気付きにつながるときはまた嬉しい。
学んでわかったつもりになっていても、本当にそれで充分なのか?という行き止まりに見える壁の前で、もうこの先に用は無いと方向転換してしまっていたら見えなかった世界。
無いところに朝日を昇らせる力。
継続する学びがいかに大事か、展望と開運365日本の中から教えてもらえた。