気学の学びはさしすせそ

最近思ったのは、気学の学びはドレッシングじゃなく、タレでもなく、しょうゆか、塩か、砂糖か…さしすせその調味料だな、と思えた。

ドレッシングは便利。

それだけで使える。

その料理にピッタリの味が出る。

 

でも自分の微妙な好みに合うかというと、その微細にまで合わせるなら、さしすせその調味料はそれだけでも美味しいし、それは何にでも使えるし、使い手によって無限の可能性が出せる。

 

ドレッシングも、こんな味があったと楽しい気付きはあるけれど、その楽しい気付きを自分の手で作り出せた時の感動はまた別格。

 

今は早く出来ることが重視。

料理でなくても、ネットで検索すれば欲しい情報はすぐに手に入る。

 

でも試行錯誤して、自分の力で自分好みの美味しい料理が出来た時の感動もあるはず。

 

それは無駄?

 

試行錯誤した時間は本当に無駄なのか。

 

それは貴重な”経験”と呼べるのではないのかどうか。

 

何でもサッサと作れたほうがいいのかどうか。

 

 

 

自分が本当に今、得だと思っているものが本当に長い目で見て得なのか。

 

何が本当は大事なのか。

 

一白中宮の日は思考が深くなる。

 

少し立ち止まって色々考えてみるのもいい。