私の意識していること

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誰かの整理収納か何かのお話の中で、シャンプー類は使ったら外に出せばぬめりもつかない、というお話に共感して以来、使ったらすぐに外に出しています。

今日お風呂に入って、シャンプーとトリートメントをいつものように出したのですが、置き場所が、ちょっとした隙間の部分で、いつもは倒れないのに、トリートメントがパタッと倒れ、ちゃんと戻せばよかったのですが、冬場で寒いし、ちょっと隙間の奥に倒れた感じなので、今はいいか、と思って湯船に浸かったのですが。

あ、今日トリートメントしてない…!

ということに気付き、それで倒れたの??と思うと、もの言わないはずのトリートメントが私に教えてくれたように思えておかしくなってしまいました。

でも今回の私の出来事は別にしても、こうやって、まさか、と思うものからも、きっと本来私たちはたくさんの気付きを受けていて、それに気付いていないだけ。

今回のようにトリートメントを忘れていたことで、トリートメントが倒れたかどうかはわかりませんが、私はとりあえず教えてくれてありがとう、という気持ちになれたので、本当のところはわからなくても、環境の動き、外気に耳を向けたことで、感謝の気持ちを持つ機会をもらえてよかったと勝手に思っています。

村山先生の社会運勢学というのは、社会の動きが複雑になる中、そこを読み取らずに占い的になってしまい、今のような世の中になってしまった。

それでは世の中よくならないから、社会の動きをしっかり取り入れて気学を活用する。

そのようなことを言われているのだと思うのです。

気学は相手軸と自分軸で見るものを学びます。
相手というのは環境も含めた外気。
自分の内気以外から起こってくるすべてのこと。

それらの動きの中から、その起こったことに対して、九星の気に分けられた象意から、その起こってきた動きの意味を自分なりに考える。

そこに当たり外れを重視するより、自分で考え、違ったとしても、違ったことすら自分の糧になり、また今度何か起きてきた時に、その経験を元に、九星の気、というツールを使い、自分なりに思考して読み解いていけばいいもの。

社会運勢に敏感でいるということは、確かに政治経済国際問題、色々なことを学んでおくべきこととは思いますが、それだけでなく、社会ということは、自分以外のものに対してそれだけ関心を配りなさいという意味ではないかと思っています。

例えばタロットや何かしらのリーディング?と呼ばれるもので読み取るのは、よりよく知りたくてすることのようにも思えますが、易経の中に、同じ質問を何度もすることは蒙だと言われています。

外気が教えてくれていることをわざわざ別のものに訪ねなおすことはきっと同じことで、それは起こってきた最初の出来事を無視してしまっているのではないのか、最初に教えてくれた人の行為を無にしてしまっているではないのか、と思っています。

外気が教えてくれたことから自分が思考する。
答えを知ることが大事ではなく、そこで自分が思考することが修行のチャンス。
そこで自分を成長させてもらえることが貴重な機会。

それを村山先生が伝えたいことかなと思っているので、私はそこを自分でも十分意識して過ごさないとと思っているし、家族にも生徒さんにもここを読んでくださっている方にもお伝えしたいと思っています。