昨日は恵方参りに行ってきました。
今年は本当に密度の濃い一年で、本当に南にいる年らしい、気付きの多い一年でした。
中でも、この恵方参りで思い出すのは、一人の女性とすれ違ったとき感じたこと。
見ず知らずの、ただ通りすがった女性とすれ違っただけのこと。
でも、それすら、この女性との何かが無ければすれ違いもしない。
この女性が少しでも早かったら、遅かったら、私とすれ違いもしていない。
そんな当たり前の事実にハタと気づいたとき、雷に打たれたように、そうか、と思えた。
逆に誰にも会わないのも、そのときの私の意識と合わなければ、どこかの誰かに私と同じ時間にその場に居合わせたいという意識があったとしてもすれ違うこともできない。
会うのも必然なら、その機会が無いことも必然。
天地に抱かれているんだな、という感覚を自身の本能的な部分で実感した瞬間。
必要なとき、必要なことを天地はちゃんと教えてくれる。
そこが本能で納得できた気持ちの安定感。
ただ人とすれ違っただけ。
そこで何もその人とは話もしていない。
それでも自分の中で、確かに気づけたことがある。
気学は当たり前に思える日常に、大きな気付き、大きな意味があることを教えてくれる。
私は別に特別なものを勉強したわけでもない。
人より知らない知識は多いし、ただただ村山先生の気学を学んだだけ。
その気学の知識ですら、深く学んでいる方に比べれば知らないことも忘れていることもきっと多い。
でも生きる上で大事なこと、必要なことは、気学の基礎の中でも十分あって、それが本当にたくさんの気付きと気付けたことへの喜びで自分の中に満ちあふれている。
だから私なんかよりたくさん知識のある人、力のある人が学んだら、どんなにすごいことになるんだろう、という思いがある。