気学はどうして学ぶと幸せになれるのか?
今朝簡単なことに気付きました。
拍子抜けするぐらい簡単で当たり前のことでした。
それは思いやるからです。
気学はこの世界の成立ちを学び、関係性を知り、自分に当てはめてこういう意味なのか、ああいう意味なのかと考えて自分の夢に向かうための様々なバロメーターにして進むためのツールです。
起こった出来事の意味を考えるときには火と水が合わさるとどうなるか…、水はどういう変化をするのか…、大地と天の関係性はどうなのだろうか…、そうやって考え、自分の今の状況に当てはめたりします。
また学びの中で、視野が広くなる感覚も持てるようになる、という記事も書いたことがありますが、それは自分だけのことを考える世界から、色々な人の思いがあって、今があって、というようなことだったり、そんなふうに考える人があったんだとか、色々知らなかったことを知ると、そこを起点に自分の中で新しい思考が広がりますよね。
だから気学の講座で活用の仕方、活用の仕方、これがわからないからまだ自分はうまくいかない、と騒いでもなかなか幸せになったように感じられないのは、自分で感じること、考えることを深めないから、今まで以上に周囲に思いを馳せることなく、自分自身にことにも思いを及ぼすことが出来ず、思いを遠くまで馳せる癖がつかなければ、今まで以上の幸せには届かない。
私の学ぶ気学の講座はマインドズームという会社名ですが、この会社名は前にも書いたかもしれませんが、本当にそうなんだなぁと思うのです。
心を深く掘り下げれば、誰でも幸せになれるのです。
別に気学でなくても何でも。
ただ気学は実利がわかりやすく結果につながるのが論理的に見えやすいのでそこから深めれば深めやすいのでは、というだけ。
相手を思いやれば、相手は何かを返す。
それは見える部分のものを渡すだけでなく、その人の背景にまで目をやり、思考を飛ばして、こういう経緯があるから今こんなに怒っているんだなとか、思いを馳せて、頑張っているんだな、と思えれば、自然にプラス思考だのプラスに受けとるなど意識せずとも、この人も色々あるんだな…自分と同じだ…と怒る気持ち、不満の気持ちも消えて行って、優しい気持ちになれて、自然と幸せになれる。
だから気学講座は3回は続けておいで、と言われるのは、気学の何だかがわからなくても、人を思いやる、人の裏の思いに思いを馳せると幸せになれるんだ、そんな簡単なことだったんだ、ということに、色々な話の中から気付くから人は切り替わっていける。
だから本当はこうやって言葉に書いてしまうことはあまり意味がないのかもしれない。
人は言葉で言われても共感しないから。
自分の体験に照らし合わせないと納得しないから。
でも今以上に幸せになるのに特別必要なものなんて無くて、ちょっと思いを馳せるだけでもっともっと幸せになれる。
ただその思考の癖を身に付けられるかどうかだけ。
それは確かかなぁと思えた朝でした。