母の時代はタイツも少し穴が空いても繕って履いたり、学校に行くときの自転車にも手が冷たくて”しもやけ”になったり、ハンドルに風避けのカバーをつけていたりしたのよ、という話をしながら今朝は一緒に日盤吉方取りをした。
今はいい時代よね、といいながら、それでも、母の年の離れた昭和一桁生まれのお姉さんは、母のことを、あんたはいいわよね、私の時代は青春なんて無かったわ、と言っていたのだとか。
戦争の前後、大変な経験をして、こんなことを繰り返したらいけない、もっとよい世の中にしなくては、という、たくさんの悲しみを経験された多くの方々の思いから、今の、平和な世の中は作られている。
ありがたい。
今まではそんな感謝ぐらいで終わっていたけれど、気学を学んで、色々考えるようになって、それではまだまだと気づいた。
今、幸せで、いい世の中を過ごさせてもらえているのは、それまでに「よくしよう」と頑張ってきた人たちのおかげ。
ではこれからの世の中をよくするのは誰なのか?
今が幸せであれば、その延長は何もしなくても続くような気がしている。
自らが壊さなければ、現状維持しようとすれば大丈夫と思っているかもしれない。
でも本当に何もしなくて現状維持出来るのか?
老いは確実に迫ってくる。
物事は必ず衰退する。
今の現状だって、必死で守ろうとしなければ、本来は守れないはず。
そんな当たり前のことに、やっと気づける。
よい子供に育てよう、ということも大事だけれど、ひとたび戦争が起こってしまえば、どうなってしまうか。
今の大人たちが、いかに、自分達が死んだあとの世の中のことまで考えて、次の世代の人たちのために、何が残せるかを考えられなければ、”今”を満喫させてもらうことはおこがましい。
“今”は先人たちの贈り物。
その素敵な贈り物を、暢気にもらいっぱなしでいいのか。
それは次にバトンタッチさせていく必要があるのではないのか。
自分達が死んだ後のことなんて、世の中がどうなろうと知らない、では済まされないのではないのか。
自分達が楽しませてもらった分、同じように、それ以上に、よいものを残していく。
それには今自分に何が出来るか。
真剣に考えないと、今、自分の目の前にある損得に一喜一憂するだけになってしまう。
いざ戦争が起こり、これではダメだ、と本気で思い知らされるまで気づかないでいるのか。
その手前で踏みとどまって方向転換することが出来るのか。
気学を学ぶまで、こんなこと考えもしなかった。
でも気学を学ぶと、視野が広くなる。
遠くの人、会ったことの無いような人の思い、遠い過去、遠い未来、広く広く気にかけることが出来るようになってくる。
ずっと専業主婦でぬくぬく暮らしていた私でもこんなふうに変われる。
もっと頭もよく、力もある人が世の中にたくさんいる。
そういう人はもちろん、私のように、そんなこと考えてみたことが無かった、というような人まで、一緒になって真剣に考えて、いい案を出し合い、行動し、自分達の次の世代、その先の世代まで、今の自分達が感じているのと同じかそれ以上に幸せを感じられる世の中を作っていけるように動いていきたい。