育てやすい子といえば、やっぱり手がかからないこと?
いい旦那さん、いい彼、といえば、優しい人?
本当にそれでいい場合もあるかもしれないけれど、本当にそれでいいのかな?と気になる場合もあります。
もし根底に、親の言うことを聞かないことで嫌われたくない、突き放されたくない、孤独になりたくないという気持ちがあったり。
反発することで文句を言われて面倒なことになるから穏便に済まそうとして、その分自分に不満が溜まってしまったり、あきらめの心が生まれてしまって、そうやって育った子供が大人になったら?
彼女や奥さんの言うなりになっておかないと面倒なことになるとか。
嫌われることが怖いから優しくするとか。
どうせ自分の考えは通らないとあきらめて人に合わせることが息をするように当たり前になっているだけだったりとか。
優しくしないと自分は認めてもらえない、という習い性から優しくしてしまったりとか。
そんなことに結びつかないだろうかということ。
根底って本当に大事で、どんなに立派な建物だって、土壌の強度がなければ傾いて住めなくなってしまうのと同じ。
最初は外見上わからなくても、住んでいるうちに徐々に問題は噴出してきてしまう。
子供のころの出来事、育てられ方というのは、意外と根深く自分というものを形成している。
一白の年は裏という意味もある。
自分の裏に隠れた部分と向き合ってみる。
人の裏に隠れた部分に思いを届かせてみる。
それが出来る年でもあると思う。