幸せは大きい方がいい?
そりゃあ小さいより大きければ大きいほど悦びは大きくなって幸せなんじゃないかな?
そう思いがちですが、例えば。
ご主人が退職金で世界旅行につれて行ってくれた。
ご主人が毎日ごはんを美味しいと喜んで食べてくれて、後片付けを手伝ってくれる。
どちらが幸せでしょうか?
幸せとは長続きしないそうです。
そういえば、何年も前に旅行に連れて行ってもらったこと、
確かに嬉しい思い出だけれど、それきりで
毎日食事の感想もなく、茶碗一つ下げてくれないご主人だとすれば
幸せでしょうか?
一度も旅行なんかには連れて行ってもらっていないけれど
日々大事にしてもらっているなぁと実感のあるご主人を持っている奥さんのほうが
幸せ感は強いのではないでしょうか?
些細な幸せの積み重ねは、幸福感が持続するし、
それはやがて大きな幸せに通じてくる。
この例は、わかりやすく、してもらう側の例ですが、
大きな幸せだから、といって幸せかどうか、というのは別だということが
わかってもらえたでしょうか。
だから、いつも小さな幸せを感じることは大事だし、
そんな幸せ与えてもらっていない、なんて言う人がいるかもしれないけれど、
些細なことに悦びを感じられる、反応できる感度が大事ということ。
些細な感謝ができたり、些細なことにお礼が言えたり。
そして、これは四緑の卦が教えてくれること。
第一爻が陰、第二爻、第三爻が陽。
一番下は小さい幸せだけれど、その上に大きな幸せが乗っているのが四緑の卦。
村山先生の気学塾は、毎回続けて行かなくても、来れるときだけでもいい、と言われます。
それは多分、気学を覚えないと幸せになれない、ということではないからだと思います。
気学の生き方、幸せに通じる生き方は気学の中にちりばめられているから。
気学を学べばもちろん幸せになるための考え方はしっかりわかるようになるけれど、
それはどの部分にもその要素は含まれていて、気学の全体を知らなくても
どこを知っても幸せになるための考え方はあふれている。
どうすれば幸せになれるのか、テクニック的な要素はたくさんあるけれど
本当は土台さえよくして凶を犯しさえしなければ、
自然に幸せな要素を自力でつかんでいけるのだと思う。
幸せな人が気学を知らなくても、名前が吉名だったり、自然に吉方移動できていたりするのと同じで。
気学は本当は、そういう、生き方が出来る人を増やしていくための手段だと思う。
話は逸れましたが、気学には本当にいろいろ幸せになれる要素があふれています。
詳しく知らなくても、深く学ばなくても、幸せになれる要素は見つかります。
ぜひ基本部分から、幸せになれる要素を見つけてみられませんか?
気学をもうちょっと深く知ってみたい、
と思っていただけるようでしたら、下記アドレスまで、
出来れば下のお名前と生年月日を添えてメールにてご連絡ください。
簡単なことでしたら無料でお教えしますので、お気軽にどうぞ。
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