導き出されること

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突然…な話ですけれど。

便秘の原因に、行きたいときに仕事や学校で行けない状況があって、行けないことで便秘につながる、という話しがありますよね。

行きたいときに行ける、ということはありがたく、行けない、ということは辛いこと。

でもそれを、いつでも行きたいときに行こう、というだけでは、なかなかそうは言っても状況が許さないこともあるかもしれない。

いかによい状況を作るか。
どうしてそういう状況に陥るのか。

ちょっと深堀して考えてみる。

タイミングが合わないときに便意がある。
便意が、タイミングの悪い状態のときに来る。

行きたいときに行ければ問題が無いのにと思う。
行きたいときに行けない状況が悪い。

そう、状況が悪い。

その気持ちが、体と状況のタイミングを悪くしてしまっていると考えてみる。

もうちょっと体のタイミングを周囲の状況に合わせてみたらどうですか?という自然というか、眼に見えない何かのお知らせでは?と考えてみる。

それは便意に限らないところで、自分の今の周囲に対しての思いはどうだろうかと振り返ってみる。

私生活に於いて、自分は悪くないのに、周囲のせいで我慢させられる、と考えていないかどうか。

周囲には周囲のタイミングや思惑があって動いている。

自分の意志を無理やり曲げるという話しではなく、お互いの譲歩、という気持ちが大事じゃないのかということ。

そんな気持ち、心を動かすことによって、体のタイミングと周囲のタイミングが合ってくるようになるのでは、と思う。

きっと自然というか目に見えない何か、という名の宇宙も、ああ、教えてあげたいことが分かってくれたんだ、と納得するから、タイミングをズラす必要性が無くなってくる。

人間は宇宙と一体、というと、何だかちょっと怪しい世界の話しに思えるけれど、月の満ち欠けで女性のホルモンの動きに影響があるように、天体の動きで単純に朝と夜、四季が移り変わるように、人間の生活は宇宙の動きに影響しているというか、人間は宇宙の一部なのだそう。

そして宇宙は、時間が逆行しないのと同じように、常に前進し、成長しようというエネルギー。

当然その一部である人間に起こってくる出来事のすべては、成長しようというエネルギーを持っていて、一見悪く見えるようなことからも学んで欲しい、そのことから気付いて欲しい、成長して欲しいという、宇宙の意思の影響だと言えると思う。

だから、何が起こっても、吉だ凶だとか、自分にとって良い事か悪い事かとか、好きか嫌いかとか、出来る出来ないとか、チャンスかチャンスでないかとか、一個人の小さな顕在意識の判断で決めるより、すべて人間の潜在意識の判断によって起こってくること、と受け入れればいいこと。

タイミングよくトイレに行けない、という状況を便秘になる元凶、ということで片付けてしまうのではなく、そこにどういう意味が含まれて、どう受け取ればプラスになるのだろうかと考えれば、必ず状況は変わると思う。

だって現象には裏の成り立ちがあって、逆に言えば悪い裏の成り立ちが無ければ表の現象に悪いことはあり得ないはず。

すべてプラスに受け取ることが出来れば、何をやっても何が起こっても、ありがたく感じられるし、当然良い事悪い事と振り分けないからチャンスは起こることすべて、という、行動を起こすだけで丸儲けみたいな感じになるはず。

気学を学び始めた時は、宇宙、という言葉に抵抗があって、今目に見えるものだけが確かであって、宇宙のことなんて、専門家の人たちだけが考えればよいことぐらいしか思えていなかった私でした。

でも、気学を学び、今の生活がどれだけ宇宙というものと直結しているかということを納得せざるを得なくなってこれたことから、以前の自分とは遥か違うところに来てしまった感じがするものの、生きることが楽しく、ラクでおもしろい。

毎日毎日気付きに満ち溢れる世界。

日々の体のリズムのことから随分と壮大な話になってしまった。

でも個は全体で全体は個。
小さなことが全体を構成しているし、全体は小さなことで構成されている。

小さな出来事から、いかに全体を見るか、という癖も気学の学びの中から得られます。