愛されている

気学の世界は本当にすごい。

常々、易もわざわざ筮竹を立てて読み取ることをしなくても、周りに起こってくることでも十分今を読み取れるように思ったりしていたけれど、本当に宇宙の愛はすごい。

人がただ生活する中で、必要なことはしっかり教えてくれている。

腹話術の人形やマリオネットを使うように、自分の周囲の人たちの口から言ってくれていたり、自分の本能的に湧き上がる行動の中に大事なヒントがあらわれている。

今の時代は天気予報を見れば明日の天気がわかるように、空を見上げて自分で思いを巡らせることが少なくなり、文字から、言葉からの直接的な情報を簡単に受け取ることに慣れ過ぎてしまっている。

人の言葉の裏には、自分にとって大事なメッセージが常に含まれている。

それを受け取ろう、聞き取ろう、感じ取ろう、という意思があるかどうか。

昔は霊感のある人は自分に見えないものが見えていて、見えない未来が見えているのだろうから、特別な人で、そういう人なら進むべき道について迷ったときの相談者として信頼できるのだろう、と漠然と思っていた。

でも気学を学び、宇宙の「気」の流れを知っていく中で、何も特別な力は必要では無くて、見えない何か、という不確かなものでもなく、確実に見える現象から、常に道は示されていて、宇宙の流れは、死という陰へと向かう生きるものを、常によくしよう、という陽へと導いてくれている。

そんな宇宙の愛をしっかり活かせば、ああ、この人はもうお小遣い無くなったんだね、じゃあもっとあげようね、となるけれど、いつまでも活かせないと、この人はまだ使ってないから、まだあげなくていいね、となるのかもしれない。

そして霊感はお釈迦様も嫌っていたことで、私の学ぶ気学でも使わないこと、とキツく言われているけれど、宇宙の愛を無視して自分の力で無理やりに何かしようとすれば、宇宙の愛は受け取らなくていいんだね、と、最低限で十分な受給対象者とされてしまうのかもしれない。

宇宙の愛にたっぷり気付くために必要なのは、宇宙の言葉を理解するための辞書。

それが気学。

ちょっと今日はウキウキが止まらない。